1ヶ月ぶりの投稿です。

私が昨年8月に再びこの国に来てから、およそ9か月が経過しました。

広いコンドの部屋では無いので、洗濯機も置けず、洗濯物を手で洗うことも、トイレでトイレットペーパーを使わずに手でお尻を洗うことも慣れました。

フィリピンのトイレは排水管が狭いので、トイレットペーパーを一緒に流すと、すぐ詰まるらしいです。

公共のトイレでは、便器の横にゴミ箱があってそこにペーパー類は捨てるらしいのですが、フィリピンの人々は、トイレットペーパーを使いません。

私は自分のお尻を水を使って洗うことに抵抗がありましたが、もう慣れました。

最初は、水道水さえ綺麗では無いので、歯磨きにその水を使っただけで、嗚咽が止まらなかったのですが、それも慣れました。

ただ、フィリピンに住む日本人は変な人が多く、日本人同士の助け合いには協力してはくれません。

日本人が、日本人を騙す事件も多いのがココフィリピンですから、日本人だと知っても日本の方ですか?とは声を掛けません。

同じ日本人でも、簡単には信用できないからです。

私は今回窮地に立たされました。

勤めていた日系企業に問題があり、退職せざる負えなくなり、給与もろくに入って来ない。

住んで居たコンドも出ることになり、一度は妻のお姉さんの所に居候したのですが、感情の起伏が激しいお姉さんは、私が同居することでストレスを抱え、私はそこを出るしか手立てがありませんでした。

妻はお姉さんの所に、喧嘩をしながらも住めますが、私はそういう訳にもいきません。

しばらくは、安いホテルに暮らしていましたが、貯金も底をつき、何度も自分自身で死を覚悟しました。路上生活もしました。

日本人の知り合いに相談しても、自分の身は自分で守る保守的な考えの在比日本人は、人は人ですので、切羽詰まっても助けてはくれないのです。

私は、日系企業を退職してから、リクルート活動していた時に知り合った一人の男性に最後の最後に連絡しました。既に荷物も捨て、覚悟していた時です。

その男性は、香港系フィリピン人ですが、その方も苦労して会社を大きくした方。

私にとりあえずの住まいを提供してくれました。

今はその部屋でこのブログを書いています。

その方曰く、日本人を助けたのは、 これで2回目だそうです。1人目もフィリピンでの生活がままならず、自害を考えていたそうです。

私はその方に救われました。

日本人男性がフィリピンに来て、失敗する例は多いのです。

夜の遊び、女に狂いお金を使い果たしてしまった方。信じていた彼女がお金目的だったという方。

私は前者ではありません。妻のお姉さんの病院代に幾らお金を貸したかわかりません。

しかし、フィリピンでは貸したお金は戻って来ないのが常識。そのお姉さんに同居を断られ、この始末。

元はと言えば、私に計画性が無かったのが一番の原因です。

フィリピンに来て、最初に勤めた会社が、バイナリーオプションの会社。しかしフィリピンでの運営は禁止されています。個人的に投資した額も戻って来ません。

次に日系のBPO会社。私が入社してから、次々と上司が退職。HRもまとめて4人が退職し人材不足で、OJTが運用したために、給与も遅れる始末。

日系企業ながら、HRは全てフィリピン人ですので、やること全てが遅い、書類は失くす。会社から出してもらっていない経費まで 、 給与から引かれる。それを返金申請しても返って来ない。

フィリピンはそんな会社ばかりです。自営もしましたが、回らない。

今後は助けてもらった方の会社に貢献して生きていきます。

ここで、本田宗一郎の言葉を思い出しました。

I have to be in trouble.

Human beings are troublesome.

The power to come out when absolutely dead is the real power.

Soichiro Honda

今回は長文になりましたが、ご覧いただきありがとうございました。